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音楽を語るだけではあきたらず、こんなコーナーを作ってしまいました。
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ソドムの市 鎖斗拳 02/6/3(月) 17:41

ソドムの市
 鎖斗拳  - 02/6/3(月) 17:41 -

引用なし
   ●スタッフ:
監督…………………ピエル・パオロ・パゾリーニ
製作…………………アルベルト・グリマルディ
原作…………………マルキ・ド・サド
脚本…………………ピエル・パオロ・パゾリーニ
  …………………セルジョ・チッティ
撮影…………………トニノ・デッリ・コッリ
音楽…………………エンニオ・モリコーネ

●出演者:
公爵…………………パオロ・ポナチェッリ
僧正…………………ジョルジョ・カタルディ
市長…………………ウベルト・P・クインタバッレ
大統領………………アルド・バッレディ
狂言回し……………カテリーナ・ポラット
    ……………エルサ・デ・ジョルジ

イタリア+アメリカ合作 原題・「サロまたはソドムの120日」
1975年度作品上映時間1時間58分 カラー ユナイト映画配給


不愉快な映画である。不快な映画は多いが、ここまでひどいのは珍しい。あえて批評する意味もない作品だと思うし、パゾリーニには他に「アポロンの地獄」や「王女メディア」といった名作もあるのだが、この作品に対する自分のポジションを明確にする意味というか必要もあり、あえて今回レヴューを試みた次第。

原作は背徳の文学者マルキ・ド・サドの「ソドム120日」(渋沢龍彦の翻訳で文庫版もあり)。フランス革命前夜、彼がバスチューユ監獄で服役中に執筆したもの。映画は1944年第二次大戦末期のイタリア(ムッソリーニ失脚後、ヒトラーが樹立した共和国サロ)に舞台を移して、サドの提唱する「悪徳」を再現している。
物語は......
公爵、僧正、大統領、市長という4人の支配者たちがイタリア中の村や町を襲って若者狩りをする。集められたのは、よりぬきの美少年、美少女たち。犠牲者はサロの城奥深く軟禁され、支配者たちの想像を絶した変質的な暴力、サディズムのえじきとなる。レイプ、鞭打ち、男色、スカトロジー。果ては頭皮をはがされ、眼球をえぐり出された未、若者たちは次々と虐殺されていく.....
という身も蓋もないもので、実際に2時間弱の上映時間のほとんどが城内での拷問の描写に割かれており、その拷問の内容も手を変え品を変えエスカレートしていくものだから、観ているうち本当にうんざりしてくる。
4人の権力者達はどう見てもファシストを暗喩しているし、彼らの警備の少年兵達も黒シャツ(!)で、これまたいかにもな容貌だったりするのだが、この作品の凄いところ(?)は、彼らの残虐な行為が最後までなんの抵抗にも遭うことなく全て成就するという点にある(これぞ悪徳の栄え?)。
絶対的な悪が公然と行なわれるために必要なものは権力である。この映画は最後までその権力に対して何のプロテストもないのだ。まさに傍観者といった趣.....
俺が一番不快に感じるのはその傍観者的な視点なんだよね。つまりこの映画は登場人物だれに対しても全く思い入れを持てないし、この阿鼻叫喚の地獄をボーっと観ているほかにすべがないのだ。まさに悪意すら超越した救いようのなさ。一番終わって欲しくないところで唐突に現れるエンド・クレジット(なお、このエンディングに被るモリコーネのテーマ音楽は秀逸)。

パゾリーニは撮影終了直後、同性愛相手の少年に惨殺され、結果的にこの作品が遺作となった。まあ、でもこんな映画作っちゃったら次回作なんか無理だろうし...
良い子のみなさんはこんな変態映画、絶対観ないほうが身のためだぜ。

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